今日は終日の休み。 早朝の落ち葉掃きをした後は、いちんちTVとごろ寝。
点けっぱなしのTV・BSで偶然、「松井秀喜の百年インタビュー」を観る。
野球ファンでも、巨人ファンでもないので、松井には特別の関心はないのだが、
毎日の夜勤明けにメジャー・リーグ放送は欠かさず観ていたので、彼の試合も
イチローのそれと同じようにほぼ毎日。よって彼の活躍も良く知っていた・・。
ちょっとシャイなところもあるイチローと違って、とっても思慮深くて素直な
実にエエ人間であることに今更ながら驚く。
番組の終りごろに言った言葉が印象深い。
「野球は、3割打者でも、残りの7割は失敗なのです。その現実を受け止めて
次に生かすことが大事だと思います。」
(イチローが、全く同じ言葉を発していたことを想いだした。)
・・・・・・・・
先日、テニスだかの部活の指導者(顧問?)が、ミスをした生徒に猛暑の学校の
外周を走らせ、生徒が熱中症で亡くなった事件があった。
「何、やってるんだ !」 この決まり文句でミスや過ちを叱責する指導者は
数多い。(スポーツにとどまらず、仕事の現場でも大半の指導者はそうだろう。)
が、ミスに憤って当該の人物にペナルティーを課したとしても、そのあとの
プレイや仕事が目に見えて良くなったり捗ったりすることはまずあり得ない。
(百メートル走の選手を怒鳴ったからと言って記録が伸びるわけではない。)
指導者のやるべきことは、スポーツの場合であればそのミスに至らない技術的な
指導。仕事の場合であれば、起きてしまった事故の速やかな対応とフォローで
あって、決して怒鳴り散らすことではない。
ミスや事故を指弾しても何もはじまらぬ。
起きてしまったことは、もうどうにもならんのだ。この厳然たる原則を理解して
いるリーダーは、実に少ない。
私は、故星野仙一監督や山本浩二監督のようなミスを責めるタイプは最も嫌い。
逆に、権藤監督や中畑監督のような「ドンマイ、ドンマイ」つータイプが好み。
指導者とはそうあるべきだと思うゆえである。
「何で、こんな簡単なことができんのだ。」天才打者であった長嶋は監督時代、
選手を指導する際、よくそう感じて常にイライラしていたそうである。
(が、監督としての実績は王監督に遠く及ばない。人柄の事を言ってるのではな
い。)
・・・・・・・・
指導者でなくて、私のように終生下っ端の人間でも、心掛けるべきことは、
他人(人間)を観る場合においては、その人の長所を出来うる限り見つけ、
評価することである。
他人の欠点なんぞ見つけるのは容易いことであって、何の自慢にもならぬ。
れこそバカでもできる。(政治家の欠点を暴くことなんぞ、呼吸をするよりも
簡単なことは、私のブログを見ればすぐにわかることだ。
「何やってるんだ !」 この言葉を発する指導者は、指導者としては失格で、
人の上に立つ資格はない。 私の結論である。
「 マチガイとキチガイはどこにでもある」し、
「 ハジメとミジメはだれにでもあるのだ」
「ここはこういう風にするのだ。さすればミスの可能性は減る。」こうした
アドバイスがいちばん。
「精神がたるんどる」とか、「集中していないからだ」何ツーのはクソの役にも
立たぬ。
ことに日本のスポーツは軍隊教練の延長線上にあって、精神論・根性論での
指導が伝統でさえある。
一世代程度の時間では、その矯正・転換はとうてい無理かも知れぬ。
が、少しずつ、少しずつではあるが、変わりつつあるような気もするのだ。
期待しよう・・・。