戦後70年を経て、戦場や空襲体験や原爆被爆のことをある種の義務感から、
やおら語りだす戦争経験者のお年寄りが多くなってきた。
やはり戦争は、歴史家や学者の研究だけではなく、実体験者の真実の語りに
よって明らかにされていくことはとても大切なことで、有難いことである。
が、その語り部の老人たちに、対象の子どもたちの親から、「あまりにも
凄惨な話で、うちの子どもは心に傷を負った。」と抗議の電話がかかって
くるのだそうだ。
いかにも「戦争を知らない子ども達」である世代らしいと、私は苦笑いする
のであるが、彼らの主張にも一面の道理があると、私も考えるのである。
「はだしのゲン」の描写や、ヒロシマ原爆資料館の展示などは、中学生以下
の年齢の子どもにはあまりにも刺激的過ぎる。ああした残酷で悲惨な中身は、
まだ感受性がデリケートな中学生以下の子どもには悪影響・副作用を必ず及
ぼす。
戦争を語り継ぐ対象の年齢は、高校生になってからで充分。決して遅すぎる
ことはない。
・・・・
で、
個人の戦争体験の語りとは別に、公的な機関、すなわち学校では、是非とも
戦争を教えなくてはならぬ。
原爆や東京大空襲の被害については無論のこと、アジアの植民地化、侵略
についても同様のことであるが、とりわけ私が高校生等の子ども達に教え
て欲しいのは、いわゆる「軍」や「軍人」の体質である。
1905年の日露戦争時の「旅順攻防戦」、1939年の「ノモンハン事件」、
1942~43年のガダルカナル戦等の際の軍の戦略や現地司令官の作戦能力
指揮能力=人間性のことである。
あれらの戦いで斃れた兵士は疑いもなく完全な犬死にであった。そして
それらの犠牲を国民に隠すために、軍は生き残った兵士の殆どを日本に
還すことなく再度戦死間違いなしの激戦地に送り返し、将校には自刃を
強いた。
この「軍」の感覚と体質・・・。
「戦犯」である乃木将軍や東条英機等を神社に祀る日本人の体質を含めて
高校生以上の子ども達には、是が非でも「戦争」を教えなくてはならぬ。
※ 旧日本軍の体質は、自衛隊になっても変わってはいない。
フクシマの原子炉にヘリから水を撒くつー作戦を立てた自衛隊トップの
オツムの出来具合と感覚は、旅順やノモンハンで、機関銃掃射の雨あら
れの中や戦車に突撃していけ、つー指揮官の感覚と同じものである。
現在の自衛隊は、PKOに参加していて、紛争当事国の兵士やら傭兵が、
殺意を持って襲いかかってこない限り応戦できぬそうである。
いやはや、軍つーものは「常識」のないアホウの集団であるわい、
ったく。