名の知れた評論家ではあったが、石原慎太郎と比べれば
さすがにその知名度ではかなわなかった猪瀬東京都知事が、
ひょんなポカから俄然?話題の主になっている。
同じ日本人の我々から見ても、やはり言い過ぎの感は否め
ない。
常日頃思っていることが、つい口に出た、つーことなのだ
ろうが、いかにもその内容のラベルが低い。
「イスラムの世界での初めてのオリンピックつーことに、
何か意味があるのか?」つー猪瀬さんのつぶやきは、
かっての(1964年の)東京での開催が、「アジアで初の」
開催つーことで大いに喧伝されたことを失念しているし、
東京のインフラ設備の自慢なんぞは、実に醜悪である。
(醜悪といえば、高架の首都高速道路は東京オリンピックに
間に合わせるために、造ったものであったが、今や、
世界でも稀なほど、街の美観を損ねている。オリンピック
の負の遺産である。)
また、トルコ国民の寿命の短さを哂ったようであるが、
長生きする日本の老人よりも、トルコの老人たちの方が、
社会からずっとずっと尊敬されているだろう。
世論からバッシングを受けた猪瀬さんは、自らの発言を
撤回したあと、ツイッターで、「今度のことで、誰が敵か
味方かよくわかったことが収穫であった。」とつぶやいた
そうだが、自分の立場つーものがよくわかっておらぬようだ。
イスラム諸国民(とりわけトルコ国民)の対日感情の悪化
の原因を作った責任を全然自覚していない。話にならん。
・・・・・・・
猪瀬さんは、ニュー・ヨークの地下鉄が24時間稼動してる
のを真似して、東京にそれを持ち込むつもりのようだ。
ここにはおよそ文人政治家のしるしのかけらも見られない。
おととし、フクシマ原発事故によって、節電が問題に
なった際、当時の石原知事は、缶飲料の自動販売機を
槍玉にあげ、「景観をも損ねる」し、全て撤去すべし。と
主張した。
石原さんが、いかにも文学者としての感覚を発揮した事例
であった。
が、猪瀬さんの地下鉄の24時間稼動つーのは、石原さんの
これとは全く正反対である。
24時間稼動どころか、コンビニ等の店舗を夜は閉店すべし、
人間の自然な暮らしのサイクルを取り戻そう、と言うのが
文学者的な感覚であろうに・・・。
私は、慎太郎は好きではないが、でも時折、その発想に
感心することもある。
が、今度の猪瀬さんには、そういうところは全然見えない。
彼は、少なくとも文人政治家・石原慎太郎の後継者には
なれない。
この人には、文学者的感覚が感じられない。俗物である。