ブログの一般的な概念は、「公開日記」といっていいのかしらん。
日記なるものは、言うまでもなく個人的なものだから、自分の
思いを誰に遠慮することもなく、吐き出して構わない。
ところが、全くの矛盾であるが、ブログはネット上への公開が前
提、ということを日記を記す本人があらかじめ納得し、了解の上
というわけなのであるから、
仮に管理人(エキサイト)の意に添わなければ、公開が禁止された
りすることもある得るわけである。
もとより、
日記の本質は、「他人に見せたい」「見て欲しい」
というものである。(個人的な日記、などという表現は実に笑える。)
ふんとに心から他人に自分の心情を知られたくなければ、日記
なんて残すこと自体が、そもそもおかしなことだろう。
で、公開が条件の日記ということであるならば、そこには当然、
特定の個人への誹謗中傷や意図的な(活動への)妨害、あるいは
卑猥な表現や乱暴で攻撃的な表現がふさわしからぬこともまた
自明のことだろう。
でも、ブログでなくてもいいのだが、普段我々は、ついぼそっと、
本音のつぶやきをいろんなところで洩らすものである。
くそったれ、とか うんざりだ、とか くたばれ、とかetc・・・
ことに政治的な立場によっては、日記?上では、自分と相容れぬ
意見や行為への論評の表現は、誰にでもソフトな印象を与える文
章表現というわけにはいかず、過激になるのが普通のことだ。
それは確かに読んでいて気持ちのエエものではない。
(その種の文章の多い自分でも、自分のブログを読むとそう思う。)
ただ、これは弁明なのだが・・・
他人(特に政治家や評論家やメディア)への意見に反発したり非難
するのは、そうした意見や主張や行為を反面教師として、自分が
その(私から見て)奈落に陥るまいとする防衛反応なのである。
聖人ならざる私は、かくあるべきだ、とかこうしなさい、などと
はとてもじゃないが公開日記なんぞでは言えぬ。
ただ、私がブログを通じて、したいと思うことがある。
それはたいていの多くの人たちが思ったり感じたりすることが、
はたしてふんとに正しいか?ふんとに真実なのかつーことを
自分のオツムで吟味し検証することだ。
「みんな言ってるよ」この表現をする人間を、私は心から軽蔑する。
「みんなではない。オマエが言っているのだ。」
こうしたブログでは、不適切な表現や下品な言葉に管理者のフィ
ルターがかけられるという。
だがフィルターにかけられるべきなのは、「みんな言ってるよ」
といった無責任なブログであろう。
それはブログ(日記)とはいえまい。