つい最近、滋賀県の「菜の花ネット・ワーク」の新聞記事を
見たのと、昨日私のブログにおよそ謙虚さの欠如した尊大な
コメントで「あわれだ」と言う言葉があって、ふと思い起こ
したことがある。
・・・・・・
私の田舎である鳥取では、古くからアブラナすなわち菜の花の
ことを「哀れな(ぐさ)」とか「憐れみそう(草)」と言う。
(お年寄りは、単に縮めて「わり草」とか「われ草」と言った。)
何で、桜と同じ言わば春の象徴と言ってもエエ菜の花が、
「哀れ」とか「憐れみ」なんて、かなしい名前で呼ばれるのか
私はいつも不思議に思ったものであった・・・。
一度、87歳のおふくろに訊いておこうと思っている。
その菜の花の季節がやってきた・・・・
桜のような派手さはなくて、酒をかたむけるような雰囲気はない。
誰かの詩に、「いちめんの菜の花、いちめんの菜の花、いちめんの
菜の花・・・・」と延々とリフレインの続くのがあったっけ。
唱歌に「♪ 菜の花畑に入り陽うすれ ~ 」つーのもある。
どちらも我々に、大地にしっかりと根をはって生きなさいと
励ましてくれるようなメロディーと言葉である。
「哀れなぐさ」「憐れみ草」には悲しみを乗り越えんとする
生命力が息づいている・・・
明日は東北に行く。
暖かい気持ちで「哀れ草」を目をこらして見つけてこようと思う。
2 日の追記:
昨日、埼玉県の羽生市や加須市辺りを走った。
「あわれ草」が満開であった・・・