八百長事件にからんで、大相撲を所管するレンホウ大臣がコメントを
求められることが多いようだ。
たしかに今回の事件は論外であるが、過去の「人情相撲」まで
否定してしまうことは、日本人の精神性や特質まで否定してしまう
ことになる。
かって、西洋の合理主義的な思考を身につけた湘南ボーイの
石原慎太郎が柏鵬戦について、八百長だと問題にしたことが
あったが、殆どの日本人は聞く耳を持たなかった。
石原の合理主義からすれば、スポーツの世界では当然否定されるべき
「人情相撲」は、まさに日本のこころそのものであることを、多くの
国民は感じていたからである。
石原はナショナリストとして知られる。だが。そのナショナリスト的な思考は
あくまで西洋的合理主義から導き出されたもので、それは例えば小沢一郎等の
日本の土俗的なナショナリズムとは違う。
そして、実はアメリカが怖れるのはこの小沢的・土俗的ないわば「日本的なるもの」
であって、発せられる言葉は時に反米であっても理屈が理解しやすい石原慎太郎は、
くみし易いのである。
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相撲が神事で国技で・・・・なんて、持ち上げるつもりなんぞ毛頭ないが、この度の
金銭のからんだ八百長事件は、まさにレンホウ的、石原的な近代合理主義的思考・打算
とメンタル面においては共通しているものなのである。
(よって、放駒理事長が、過去には八百長は一切なかった。と言うのは
正しい。)
日本および日本人を理解したければ、石原慎太郎や大江健三郎を読んでも
駄目である。
わかりやすいのは政治家じゃね。
今の政界で最も日本的なのは亀井静香だろう。エエわりいではない。
彼が代表的日本人つーわけだ。
かって、女々しい中原中也の詩なぞ乗り越えんといかん。(カクマルの黒田寛一)、
「赤まんまの歌」なんぞ歌っていては駄目だ。と言った中野重治のような人もおった。
(だが、中野の傑作はいずれも「赤まんまの歌」的な小説である。(^-^))
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この度の八百長は論外としても、この問題へのコメントを見ていると、相撲を
通して図らずもその人の日本人観・人間観が透けて見えて面白いと思うのである。
れ ? レンホウのこと書くつもりが・・・
レンホウに「人情相撲」と「八百長相撲」の違いなんぞわかるわきゃない。
「二番では駄目ですか ?」なんつー人間に、日本文化のこと訊いたりすんな。
アホクサ。