このところのBSのニュース討論番組では、東京都の規制条例批判一色である。
名前の知れた漫画家なども先頭に立って、子ども向けのアニメや漫画の規制
条例に反対している。
曰く、表現の自由や言論の自由がおびやかされる。つーのが主な反対の
理由である。
しかし・・・・
何で、エゲツナイ漫画の禁止が表現の自由の制約と結び付くのだ ?
素っ裸で街の通りを歩くと、警察に捕まるが、そのことで表現の
自由の侵害だと書くメディアも知識人もいないのはなぜだ。
幼児ポルノの映像等の分野?では、日本は世界の中でも飛び抜けて
いるらしい。東南アジアで子どもの買春ツァーをする日本人の実態は
世界周知の事実である。
世界に誇るアニメ・漫画文化だなんて、自慢しても何にもならぬ。
いわゆる知識人とか文化人なんつー、生活を知らない連中の暇
つぶしなんぞ相手にする必要はない。
ポルノアニメやポルノ漫画が日本の文化に必要不可欠であるというなら、
それを主張する連中は、自分の家族と連れだって銀座をふりチン、ふりマン
で行進すればよかろう。
・・・・・・・・
この種の討論会で必ず出る意見に、「私も子どもの頃、親に隠れて
ワイセツな写真や雑誌を見たが、大人になるのに特に悪影響があった
とは思わない。」云々・・・
だがこういう意見をいう人は、世の中には例えば政治的な考え一つとってみても、
ネオ・ナチのような極端な人達から、アルカイダのような組織に属する これも過激な
人達まで「いろいろ」な人種がいることを忘れている。
宗教家でも、マザー・テレサからオウムの教祖までいるのだ。
先日、アメリカで政治集会に参加した人達が銃で乱射され数人の人が命を落とした。
犯人は精神的な問題があるということである。
つまり、世の中は討論をやってる人達のように「けっ、けっ、健全」な人ばかりではない、つー
ことだ。
日本でも、この間若者が満員のスクール・バスで刃物を振り回した事件があったが、
もしこの若者が銃や手榴弾を簡単に手に入れていたら、被害はあの程度では済むまい。
今の日本社会に野放しになっているポルノアニメや漫画を放ったらかしにしてお
くことは、そこいらの店先で銃や手榴弾を簡単に手に入れることが可能であるのと、
何ら変わりがない。
四角四面の堅物でなくても、行政・治世の立場にある人達が常識的な規制をするのは
至極あたりまえのことだろう。
我が国の景観のことを考えてみればエエ。
何の規制もしなかったせいで、看板だらけの雑然とした街並みになってしまった。
田舎や森の奥深いところまで、時代劇のロケすら不可能になってしまった。
表現の自由が哄わせる。
こうした文化人の連中、みかけは「けっ、けっ、健全」。
だが世の中や人間の認識においては、疑いもなくカタワ者である。
条例の反対者連中を、一週間でエエから刑務所に放り込んでやれば、
「自由」がどんなものかわかるだろう。