レモンちゃん(落合恵子さん)が、新聞連載のエッセイ「積極的その日暮らし」の中で、
歳をとる、つーのはこういうことかと自身の体験を書いてぼやいている。(^^)
私は、普段から街なかで、老人(特におばあちゃん)を見るたび、その若い頃の
姿をよく想像したりして、何となく切なくなったり、愉快になったりする事が
よくある。
レモンちゃんの場合には、その若いかりし日のイメージは鮮明に残っているので、
TV で見る今のその姿は、時間の自然な流れの結果で、さして違和感はない。
けれど、ようやっと歩くのが精一杯、という老人やいかにも「孤独感」を
漂わせている老人の、その若き日の姿を想像するのは、とっても
難しい・・・。
レモンちゃんのエッセイにあるように、また私が近年感じるように、
歳をとると体にガタがくる。
老いることがつらいのは、自分のこの体がいつのまにか思うように動かない、
ということに尽きるといっても過言ではない。
そして悔しいのは、(一個人としての経験は乏しいものだとしても)
人生で自然に貯まった経験や情報を、生かそうと思う気力がガタの
きた体にからは、なかなか湧いてこないことである。
ふんとに最近になって、びっくりしているのだが、寝て起きた時
休めた筈の体が、あちこちカタマッテ動かなくなっていることが多い。
一日の生活の中で我々は、いうまでもなく仕事や勉強の為に活動している
のだが、以前は無意識であった体の動きに支障が出てきて、れ?こりゃ何だ?
ということになっちまう。
その意識で、道行く老人を眺めていると、経験や歴史やその人の思い出が
歩いているという前に、「ああ、たぶんこの老人もどこか体にシンドイ
ところがあるのを辛抱して日々を生きてるに違いない。」なんて、実に
即物的で低俗な想像しかできないのが現実である。
げに、真の意味において 他人の人生に想像力を巡らすということは
難しいと思う昨今である。
(まとまりがなくなった。自分で何を書いてるのかわかってない。(-_-;)
おしまいに一つだけ。 クリスマス・プレゼントにレモンちゃんの
「積極的その日ぐらし」を私は是非薦めます。)
もう朝だわね。じゃあ。エエ棚を !
(私はもちょい寝る。せっかく飲んだのに・・)