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「標準」ということについて「標準」つー概念がある。すなわちフツウの規格つー意味である。 わかりやすくする為に、先ずは、工業製品のことから入ろう。 今は、録画の媒体(器械)として、DVDやブルー・レイ・ディスクが 普及しているが、ついこの間までは、ビデオ・テープが主流であった。 そのビデオ・テープの規格に、VHSとベータという二つの方式があった のだが、販売戦争?の結果、VHS方式が勝利を収め、ベータ方式は 淘汰されてしまった。 何もベータ方式の技術が劣っていたから、というわけではなかった。 (私には技術的なことはわからないが)携帯電話の世界でも、移動 通信に、より適した日本のメーカーが開発した技術の方式よりも、 フィンランドやアメリカのメーカーの持つ技術方式が、世界標準と なりつつあるらしい。 高速鉄道(新幹線)の分野でも、(安全性を含めた)技術力のある メーカーの設計のそれが、世界標準になるかといえば、必ずしも そうでもない。 結局、やはりメーカーの営業力・販売力とその後ろ盾の国家の政治力 によって、(世界の)標準の規格になるかどうかが決まってしまう。 一言でいえば、イチバン優れているものが勝つとは限らないのである。 すなわち「標準」になるかどうかは、そのもの自体の値打ちとは全く別の 要素によって決まることは至極ふつうにある。 言語(方言)のことを例に挙げれば、もっとわかりやすい。 いわゆる「標準語」として認知されるのは、他の方言よりも優れて いるからつーわけでは決してない。 (余談になるが、先日私は、生の京都弁に接して、天にも昇るほど エエ心地になった・・。) あるものが「規格」あるいは「標準」として、社会全体が認知するのは、 その方が便利だからである。(利便性が優秀さの一つの評価の観点に なることは否定はしないが・・。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まして、人間の世界(政治制度や社会制度)においては、それは、 ほとんど常識といってよい。それは時代の要請であることもあれば、 単なる偶然が作用することもある。 (これをさらに、「生き方」にまで敷衍していくと、 いわゆる「勝ち組」の生き方の方が「負け組」の生き方よりも、「標準」 になるべきであるなんてのは、およそナンセンスであるのは言うまで もあるまい。) 機械製品にしろ、社会制度にしろ、人間の生き方にしろ、もっとも 流行し、多くの人々が「採用」したからといって、それが「イチバン 優れていて、正しいものである。」つーことにはならない。 たしかにソ連型の社会主義は、消滅し、アメリカ型の資本主義が この30年間、世界を実質的に支配したが、それは正しい「標準」の 規格の社会制度であったがゆえ生き残ったのであるなんて、今のこの 不況を体験すると誰も思うまい。 ビデオ・テープの方式の違い程度なら、われわれ一般人の生活には、 さほどの影響はないが、「単なる力が強い=今、現在勝っている」と いう理由だけで、政治制度や社会制度、さらには文化や精神構造 の押し付けまでされてはたまらない。 「民主主義」なるものもそうである。 (私なんぞは、エゴのかたまりの個々の人間が、それぞれ主張し合って 合意を形成していく「標準」の民主主義なんぞよりも、英明な君主が 国家を治める「賢人政治」の方が、よっぽどバタアだと考える。) 先日、失敗に終わったCOP会議なんぞは、「民主主義」の悪例の 典型的な見本だろう。 身近なことに戻ろう。 「標準」の生き方なんてない。 「標準」から外れようと、それが何だ。自分の「標準」を作ればエエ。 (「良心の標準」のみは、守らなきゃならんぞ。) その自己流の「標準」のせいで、社会的には、負け組になるやも知れん。 しかし人生つーものは、結局、自分自身を自分でどう評価するかつー ことである。 そして「幸せの標準規格」なんて、そもそも存在しない。 「幸せであるかどうか」は、自分自身でのみ感じるものである。 (オナラの出る瞬間の感覚が、自分だけしかわからぬのと同じよーに。) KYでも何でもエエ。自分の生きたいと思った道を行くべい。 Sometimes When I'm Dreaming 」 歌:アート・ガーファンクルル http://www.youtube.com/watch?v=05eNtZnzfFk
エエお歳よりに ! ♪
by mana1563
| 2009-12-31 04:33
| カテゴリなし
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Comments(2)
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