昨年からクラシック界で、空前のブームを起こしていた全聾の作曲家の
佐村河内守(さむらかわちのかみ)の作品である、交響曲「ヒロシマ」
が、何と別人の作品であったとニュースで知って、びっくら屁をこいた。
「ヒロシマ」のCDが、180万枚も売れたのは、NHKスペシャルで、彼が
全聾の作曲家であることが世に知られたせいであるのは言うまでもない。
「誰が作ろうが、作品自体の値打ちは変わらぬ。」なんぞと聞いた風を
ほざく人はいつの世でも存在するのだが、もし、かわちのかみが全聾で
なければNHKは番組を作ることはなかったろうし、視聴者もCDを買う
ことはなかったろう。
(私も、買って聴いてみっかのい・・。と思った一人である。)
我々、音楽の技法なんぞは無論、おたまじゃくしのアロハ、もとい、イロハ
さえおよそ、ちちんぷいぷいの身にとって、作曲家が全聾であることつーの
意味は、根拠があるわけでもないけど(^^ゞ、とても重大なことなのである。
今やクラシック界のスターであるピアニストの辻井君がスターである由縁は、
彼が盲目であるからであることを否定するものは皆無であろう。
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よく夕刊に、音楽批評家や担当記者による批評が載っているのを見るのだが、
辻井君のピアノ演奏や、このたび問題になった佐村カワチノカミの「ヒロシマ」
について彼らがどう書いたのか是非とも知りたいところである。アハハ。
既に、音楽愛好家のブログなどには、「ヒロシマ」を絶賛した書き込みをした
ものが数多く見受けられる。「闇の世界に差し込む一筋の光・・」とか「絶望
の果ての・・」とか。
ネットでの専門家のそれも作曲者が盲目であることを前提にした批評(つーより
ヨイショ)であるが、ところが実は「ヒロシマ」は目明きの作品であったのであ
るから、ほとんどギャグの世界である。
結局のところ、「音楽」つーものは、素人も玄人もないのだ。
今度の「ヒロシマ」偽作騒ぎで、私はあらためてそのことを再確認したのであった。
まことに楽しいクラシック界の「珍事」であったわい・・・。