1978年に、いわゆる東京裁判においてA 級戦犯とされた戦争指導者
等が靖国神社に祀られてから昭和天皇、平成天皇ともに参拝されて
いない。
彼等が戦争当事国(敵国である連合国)にとっての「戦犯」である
からのみでなく、日本および日本人にとっても「国賊」だからであ
る。
太平洋戦争は言うまでもなく帝国主義国同士の縄張り争いであった。
そして日本は、あらゆる意味でアメリカの敵ではなかった。
それは子供でもわかることであるにも拘わらず、当時の日本の指導
者は文字通りヤケクソでアメリカに戦いを挑んだのであった。
戦争に勝つ、つーことは、相手国を占領すること、最低限首都を占
領することであるが、日本がアメリカ本土の大半を占領し首都ワシ
ントンに進軍するなんつーことはおよそ考えられなかった。
※ 日露戦争なんて、単なる局地戦に過ぎず、多くの戦場は朝鮮か
中国であった。ロシアが停戦に応じたのは、ロシアが革命前夜
の混乱期であったがゆえに過ぎない。
いわゆる「戦犯」の罪は、戦争のプロである軍人でありながら、
「負け戦」に突っ込んだこと。そして、停戦降服の機会を逸し、
竹槍で近代装備の軍隊に立ち向かえと、国民にとことん犠牲を強い
たことである。
指導者に当たり前の判断力があったなら、沖縄の悲劇や広島・長崎
の惨禍を招くことは無かったのである。
の意味で、「戦犯」と「英霊」を合祀するような神社に参拝するこ
とは、「英霊」にたいする侮辱に他ならぬのである。
ガダルカナル島戦の敗残兵を、故郷に帰すことなくさらに戦死の確
率の高い戦地に派遣したことなんぞは、およそまともな人間のやる
ことではない。
人間、死ねば悪人も罪人もなく、皆仏になるのだつー、一見あたり
まえのようなことを言うアホウが時折見受けられるが、我が子を殺
された親が、その加害者と同じ墓に入りたいつー例は未だかってな
い。
日本国民に未曽有の惨禍をもたらした戦犯を祀った神社に参拝し、
「国の為に殉じた英霊云々・・・」なんつーことは、人としての常
識を欠いているとしか言いようがない。
中国や韓国、あるいはアメリカがどうこう言ったから、つー以前の
問題である。いわゆる「戦犯」は、日本人にとって決して赦すこと
のできない犯罪者なのである。
自国の赤ん坊を殺した指導者なぞ、どうして赦すことができよう。