ベニシアさんの「ネコのしっぽ、カエルの手」に最近夢中。
で、ふと思ったことがある。
我々は、平凡な日々を生きることに、時には飽きて何かしら
変化を求めたり、刺激を求めたりする。
自ら動くこともあるが、怠惰な私のような人間は、安易に
スポーツイベントを野次馬として参加 ? して応援し、
オリンピックやワールドカップの際には、ナショナリズムの
一体感で満たされる。( 擬似的な戦争・・・。)
だが、元来日本には、そうしたイベント( 祭り )等からは、
遠く離れた環境で、静かに自然や芸術を見つめたり、それら
を縁にして、自身の人生を考えたりする伝統的な民族性がある。
が、最近の世相を眺めていると、GDPが世界2位から転落したとか、
オリンピック招致が成功するのかしないのかとか、ワールドカ
ップ出場がどうかとかそんなことばっか。
先日の富士山の世界文化遺産登録の知らせに、これでお金が
儲かるつーような感想ばかりであったこともそうである。
数年前、オーストリアのウィーンで、オリンピックを召致す
るや否やの住民投票が行われ、圧倒的多数で反対派が勝った。
静かな生活を乱されたくない。つーのが第一。そんなお金が
あるなら、他のことに使うべし。つーのもあった。
げに、それこそまさに成熟した文化を支えてきたものだろう。
正月に、爆竹を鳴らして騒ぐ中国や韓国、東南アジアの人達と
異なって、日本では静かに新年を迎える。
無論、日本にも賑やか、あるいは勇壮な祭りは数多い。
が、他の外国文化との明らかな違いは、日本文化は本質的に
「静かな文化」であることである。
この文化・風土を大切にしたいと、つくづく思うこの頃である。
( きれいごとを言ってるつもりはない。私も君たちと違って、
可愛い幼少期には、これは君たちと同じように村祭りがある
日には神社の境内に並ぶ出店で綿菓子を買ってなめたり、
水鉄砲を買ったり、金魚すくいをやって心から人一倍楽しん
だものである。
が、現代日本のスポーツイベントの開催等は、一にも
二にもカネ、カネ、カネ。 あらゆることがお金儲け・損得
勘定に換算されて動く。
だが指摘するまでもないことだが、オリンピックの開催より
も、はるかに太平洋の汚染問題の方が重要な問題である。
対策を後回しにして、たとえ 東京に決まったとしても、
その後にフクシマの問題が深刻化すれば、親日国の
南太平洋諸国は参加をボイコットするだろう。
富士山の世界文化遺産登録は、エエことにしても、
その後に政府の取るべき対応は、立ち入りの全面的な
禁止であるべきであったろう。
30万人分のトイレを新設してどうするのだ。
それが「文化・歴史遺産」つーことか。
最近の日本人のやってることは、キリストや釈迦に
豪華な着物や宝石、豪勢な食事を贈ることが、何か
人間として立派な事をしているかのような感覚だ。
何か、勘違いをしているのではないか・・・。
ベニシアさんやCWニコルさんの話を聞いてると、ふんと、
日本人であることが恥ずかしくなってくるる。
ったく、な酒ないわい。これが呑まずにおれっかい。