子どもの頃、田舎では娯楽といえば、相撲とプロ野球のTV観戦のみ。
ちょうど柏鵬時代真っ盛りのころだったが、7割が大鵬ファンで、
私のような柏戸ファンは少数派であった。
両横綱の実力差は、素人目にも明白であった。
でも、千秋楽の結びの一番は、柏戸が頑張って、いつも大相撲に
なって、茶の間の我々は、大鵬派と柏戸派の応援合戦で、TVの
アナの声が聞き取れないくらい興奮したものである。
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場所中、調子の出ない柏戸が、千秋楽の大鵬戦には、結構勝った
ことに、作家の石原慎太郎なぞが、「八百長」だと、言い出して
メディアを巻き込んだ大騒ぎになったことがあった。
私は、八百長だったとは今でも思わない。柏戸が、大鵬戦には、
ふんとに死に物狂いの力を出したので、いつも接戦になったのだ。
(おそらく日本一の相撲ファンの故吉田秀和さんも同じ考えだった。)
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( ↓ のエピソードをブログにアップするのは、これで3度目に
なる。でも、またアップします・・。)
ある時、全部の取り組みが終わって、力士が宿舎に帰ろうとした
際、タクシーの数が足りず、偶然大鵬と柏戸が相乗りになった。
横綱同士は、その立場もあって、普段は全く接触することはない。
無論、親しく口をきくつーようなことは一度もないという。
その時は、大鵬の方から、柏戸を気遣って「今度のことでは、
(メディアによるバッシングが)大変だったね。」と挨拶代わりの
声をかけた。
柏戸は、一瞬黙りこくったが、突然声をあげてオイオイとしゃくり
あげて嗚咽した。
大鵬はこの時、すれ違っても普段は冷たい他人のなりをしている柏戸が、
「ああ、実はこの人はふんとはエエ人なんだ。」としこりが溶けて
いったのだとか。
この日以来、二人の横綱は大の仲良しになった。
(私は、このエピソードを知ってから、柏戸だけでなく大鵬の方も
好きになった。)
相撲史上、横綱同士がこれほど仲良くなった例は、いまだかってないとか。
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大鵬は、かのアメリカのベーブ・ルースのような存在であったと言っても
エエだろう。
私の郷里・鳥取出身の故琴桜(大関・琴欧州の師)の猛牛と形容された
猛烈な当たりを、大鵬が胸が真っ赤になるまで受け止める稽古の相手をして
くれたおかげで、彼は横綱になれた。それほど逃げない強い横綱だった。
戦後の昭和時代を代表する人物だった。総理の名を知らない人でも大鵬の
名前を知らないものはいなかった。
戦後最大の国民的ヒーローだったと言ってもエエ人物だった。 合掌