何とか生きておりまする・・・ (^^ゞ
by mana1563
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姜尚中の吉本隆明追悼文について思うこと

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吉本隆明のクソジジイがくたばってから二十日になる。

この間、メディア界及び全共闘世代自身の後ろめたさもあってか、
吉本のジジイを戦後思想界の巨人として惜しむ(ヨイショ)する
追悼文が殆どであった。

ところが、3月27日の朝日新聞に掲載された評論家・姜尚中の
追悼文?だけは、吉本の死を惜しむどころか、言わば死刑宣告・
三下り半の宣告とも言ってもエエ位の徹底した批判につらぬか
れた誠に異色の追悼文?であった。

(これに類した追悼文としては、詩人中原中也の死に際しての
革マル・黒田寛一の追悼文?―決別の辞―があったのを思い
出した。)

これが、保守の西部ススムであったなら、さして驚きはしなか
ったろうが、いわゆる「左」の論者として一般に認識されてい
る姜尚中(以下、姜ちゃん)であったことに、私は少なからず
ビックリ。(と同時にさすがは姜ちゃん、と感心。)

曰く―

1980年代の「大衆欲望自然主義」を無邪気に肯定する吉本は、
私には「転向」としか思えなかった。

いや、吉本は「転向」したのではなかった。それは、大衆の
実感に寄り添う吉本の思想が辿らざるを得なかった必然であ
った。それは大西巨人の言葉を使えば、「俗情との結託」で
あった。

あれから十余年、空前の原発事故を目撃しても科学によって
科学の限界を超えられるとウソぶいた吉本にかっての思想界
の教祖の面影はどこにもなかった。

かって、吉本は、大衆の生活実感から遊離した「近代主義的
知識人」として、その代表と目された丸山真男を痛烈に批判
した。

だが、ヒロシマでの被爆体験を持ち、被爆者手帳の交付を拒
み続けた丸山が生きていたならば、断腸の思いで原発の廃止
を訴えたはずだ。

どちらが、無限の進歩と科学万能を信じて疑わない「近代主
義者」であるのか瞭然ではないか。この意味でも教祖・吉本
隆明の思想的な命脈は尽きていたのである。

・・・・・・・・・・・・ 

誠に姜ちゃんの吉本批判は激烈である。

私の立ち位置は元来、姜ちゃんと近いところにある。
が、死人に口無しの吉本のジジイの代わりに、一言弁護して
おきたいと思う。

どこの誰も、科学が万能だなんて信じちゃあいない。
(「東洋的汎神論者の民族である日本人にそんな人間は皆無だろう。)

「オラんとこは、産業も何にもない過疎の町だ。原発誘致の
 交付金のお陰で、みーんな飯も食えるし、学歴もつけさせ
 られるだ。放射能が怖くない住民なんていやしねえ。

 でもそのリスクがあるとしてもビンボーからの脱出には代
 えられねえ。他に方法がある?しょうがねえじゃねえか。」

姜ちゃんが言うほど、吉本はおろかではあるまい。「近代主
義」批判はわかった上で、「それでも大衆は生きていかなけ
ればならんのだ。

たとえバカと言われようと愚民呼ばわりされようと生きるし
かないのだ。」 これが、吉本隆明なのだ。

それは、まさに「オレはバカだから反省なんぞしない。利口
なやつはたんと反省するがエエ。」と、太平洋戦争への態度
について、のたもうた文学界の教祖・小林秀雄と対を為す。

(この吉本追悼文?の冒頭に、姜ちゃんはいみじくも、文学
 の教祖が小林秀雄なら思想界の教祖は吉本隆明であると書
 いているのが実に皮肉である。)


「大衆」に寄り添った吉本?。それに対して象牙の塔で大衆
の生活に興味のなかった?丸山真男。このもともとの昔から
のステレオ・タイプの対比さえ、実は根拠のないものではな
かったのではあるまいか。

※ 確かに「大衆」を論じる事、言い換えれば「知識人」が
 「大衆」への距離感を取る事は難しい。

 「法隆寺や桂離宮が火災で燃えて無くなったって、庶民の
  生活には何の影響もない。」つー坂口安吾の有名な言葉
  もあるが、

  庶民大衆くらい法隆寺等の神社仏閣に心の拠り所を求め、
  すがり、それを敬う階級はない。

  オルテガのような「大衆」批判、あるいはマルクスのよ
  うに「(庶民の)宗教はアヘン」と分析することは簡単
  なことだ。

  でも、それが我々、人間の暮らし・人間の生活なのであ
  る・・・。

残虐で非人間的な事件を起こした我が子に、死刑囚として収
容されている刑務所にその最期の日まで、面会に行く母親と
同じように、

どんなに愚かな「大衆」であっても、たとい「俗情との結託」
と罵られようと、そして「近代主義者」とのレッテルを受け
ようとも、
 
吉本のクソジジイは、最後まで「大衆」と寄り添ってくたば
って逝ったのだ。

               合掌



(そこには、正義も倫理も無いのかもしれない。でもそれが
「歴史」 つーものなのだ。悔恨をこめて、やりなおしの効
かぬ人生を受け入れること。それが人生なのだ。

小林の言うように、死んだ我が子を振り返る。それが歴史
なのだ。面会を終えて、刑務所から出ていく死刑囚の
母親の気持ち、それが歴史つーものなのだ・・・・・。)

人殺しとはおよそ無縁な一農民が、召集令状で戦場に駆り
出され、餓えて死んだり、無謀な突撃命令によって倒れて
しまっても、その農民に自分の運命を変えることができた
ろうか。それが歴史だ。

小林秀雄も吉本隆明も、そういう庶民の歴史に寄り添うこ
とが、文学の使命、思想家としての責任だと最後までそれ
を貫いたのだ。

そこに社会正義や思想的な大義なぞいったい何の意味があ
ろう。

「だって、しょうがねえじゃねえか。「運命」を受け入れ
 るよりほか、どうしようもねえじゃねえか。

 諦める。
 それで生きる力がすこしずつ貯まっていくんじゃねえか。」


ゴッド・ナイト エエ日曜日を ♪

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by mana1563 | 2012-04-07 21:10 | Comments(4)
Commented by 俳愚人 at 2012-04-09 18:47 x
姜はバカではないか?:原発事故が科学技術でしか乗り越えられないというのは自明だよな。何で鎮圧するのだ?姜に訊いて見たいものだ。吉本の意図を意図的に曲解して腐すメディア芸者に陥っている。二つ目は大衆に寄り添うというのは方法概念で、大衆べったり現状肯定ではないということだ。それは評論の数々で大衆の作る欲望や俗情の肯定だけではないことは判断できる。あなたの指摘は全く正しい。
姜も丸山も大衆がバカで、俺の理念が高尚なものだという無意識の前提がありありだ。大儀や正義や理念がくじけても、大衆や無名の一人ひとりに寄り添うほうが余程しんどいことさ。
いい切り口を見せてくれました。感謝。ひとこと吉本を追悼文が書けそうだ。
Commented by mana1563 at 2012-04-10 07:28
私は全共闘世代より一回り若い世代(姜ちゃんより二つ上)ですが、
当時の周囲の吉本隆明熱に、何でだ?と彼等の本箱から数冊手に
とってみたことがあります。ご多分にもれずあの難解な(下手くそな)文章ゆえよくわかりませんでした。結局評論家連中の解説によって理解した?ように思っただけの程度です。

山陰の山奥で育ったせいか、私が小林秀雄と吉本隆明について何かしらちょっと(決定的にかも)違うなあ、と感じることがあります。
それは二人とも結局のところ都会人(江戸っ子)であって、田舎(地方の文化)つーものは理解できんだろうということです。まあ、これは彼等に責任の無いことですが。「普遍性」の概念つーものがあるにせよ、小林や吉本が宮沢賢治を論じたものは珍妙なものじゃあないのかな、つー気がします。吉本メロンの感性が私のそれとは全く異質で、サリンジャーの「ライ麦畑で」のような共感を感じなかった のと同質な違和感です。I T時代の今日では「風土性」は省みることがなくなりつつありますが、少なくともアナログの時代に生きた小林や吉本の思想や、彼等がまな板に乗せた思想をその風土性を抜きにして評価するのはもの足りぬつーか片手落ちのような気がします。
Commented by 俳愚人 at 2012-04-10 10:19 x
ご丁寧な返答ありがとう。風土性は確かに手触りとして問題になる人もいるかもしれませんね。それは大事にしたらいいと思います。サリンジャー感想は全く同意します。ミーツーでしたよ。
わずかな世代差が大きな落差を持っていた時代です、いろいろの受容があっていいのですが、やはり共産党や新左翼が露出した時代の只中で闘いつつ批判性をどう確保するかの実存の掛け具だったと、個人的には思いますね。
Commented by mana1563 at 2012-04-10 19:43
訂正:姜ちゃんは1950年の生まれだから私より四歳年長になります。失礼しました。全共闘世代の最後尾といえるかも。
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