東日本大震災ほど、我々に人生の意味を考えさせられた事象は、近年なかった。
当事者(被災者)でさえ、ない我々であっても、その冷酷なまでの現実には
ただただオロオロするばかりで、かろうじてやり場の無い感情を震災の後始末の
不手際を口実に政治家(行政)に八つ当たりするのみであった。
オウムのサリン事件や秋葉原事件のような災害?と違って、相手(加害者?)は
大自然である。
日頃、特に日本人である我々は、欧米文明社会と異なって、自然そのものを
神としてといっていいぐらい敬っている。その神から何ゆえか非常な仕打ちを
受けたのである。ショックはたとえようもない。
メディアから伝わる情報からは、未だに辛い悲しいものが絶えないが、ことに
言葉がないとしかいいようもないのは、小さな我が子が離れた場所で津波に
呑まれ、しかも自宅も流されてその子の一片の形見さえ残らなかった母親の
嘆きと無念さである。
少なくともこの世に数十年生きた大人ではない、幼児があとかたもなく母親の
もとから奪い去られることぐらい残酷なことはあるまい。
この母親は、この先どうやって生きていくのだろう・・・。
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たしかに人生には、不合理・不条理がつきものだ。
突然難病に罹り、寝たきりになる人もあれば、交通事故等不慮の事故で人生を
終わらされる人もある。
何で自分だけが・・・、何であんなエエ人が・・・。
半世紀以上生きてきて、ただただ思うのは、人生というものは不条理だ。
自然の摂理というにはあまりにも不合理だということである。
それは人生の途中で、太陽が爆発したり酸素がゼロになるのと同じである。
昆虫などは生れ落ちると、ひたすら子孫を残す為の生殖活動のみをして
一生を終えるだけで、感情は持たぬから人生の不条理なんぞはもとから
縁がないという。
ふんとだろうか?
飢えの感覚と生殖本能、つまり生存本能のみで生きうるものだろうか?
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つづく、