ネットでもよくあることだが、人生に悲観した自殺願望者が、その思いを
さらけだし、周囲がその実行を妨げるということがある。
また、これより遥かに切なく悲惨なことだが、いじめにあった子どもが
孤立無援で相談する人もなく苦しみからのがれる為に、自らの人生を
断ち切るということもよく見聞きする。
これはここ数年の風潮つーか世の中のムードつーか、この手の問題が
報道されたとき、たいていの人間は「どんなことがあっても生きぬか
なくっちゃいけない。生きてさえいればエエことがきっとある。」と。
だが、私は思う。はたしてそうか。
たとえ子どもにしろ、一人の人間が自殺を選択したのなら、その意志は尊い
ものとして尊重されるべきものではないか。
どんな惨めなあるいは恥ずかしい状況にあっても、とことん生き永らえる。
つーのはある意味人間として恥の上塗りになることすらあるし、苦しみが
倍加することもある。
飢えた時、人肉を食っても、いじめた相手を凶器で殺しても、何がなんでも
生き抜くことが正しいとはいえまい。
もし自殺願望者がいれば、我々はむしろそれを手助けして、その願いを
かなえてやるべきだろう。
もしいじめられた子どもに気がついたら、その子が苦しみからのがれる為に
死を選ぶのを邪魔するべきではない。
その子がいじめっ子に対して憎しみを抱きながら死を選ぼうとしているなら、
いじめっ子をあの世では憎まぬようにアドバイスするのが大人の努めだ。
人生には、「生き甲斐」とともに「死に甲斐」というものがある。
生き甲斐を実感できぬ人間にたいしては、せめて死に甲斐だけでも
与えてやるべきではないだろうか。