今年も終わり。
例によって、TVでもラジオでも新聞でも、一年を振りかえる特集のオン・
パレード。
その中にとてもエエ記事を新聞で見つけたので、ご紹介。
他人の生き方に一年中文句ばっかつけてて、私の大嫌いなカトリック・ク
ソ・ババアの作家・曽野綾子女史の日本の高齢社会と題した、毎週水曜日
連載の「透明な歳月の光」つー連載コラム。
クソ・ババア曰く、
「 そもそも長寿だけでなく、人は誰でもその年頃相応の問題を抱えて
いるものだ。 老年でも青春でも、濃密な人生を生きられるかどう
かは、自分のありようを正視する力にかかっている。
しかし一見簡単なこの操作も、勇気と心の健やかさがないと、恨み
や憎しみに乗っ取られて、少しも平明に見ることができない。
しかし人間は、あらゆる立場から学び、賢くなることができる動物
なのである。
昔、私は怠けて教室で居眠りばかりしている学生だったが、ある日
ふと目覚めると、一人の神父が言っていた。
「 フランスでは 『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』とは考
えていない。体が丈夫なだけで、何も考えないような人間はどう
しようもない。」
私の眠気はいっぺんに吹っ飛んだ。 私はほんとに運が良かったと
思った。 (以下略)
このカトリック・クソ・ババアは私のははは、もとい、母と同い年である。
私の母は可愛いが、カトリック・ババアはちっとも可愛くない。
だが、時折、人の本質を見抜くようなことを言うのは、私の母とトックリ、
もとい、ソックリ。
ははは、もとい、母は、私のみにしか言わないが、カトリック・ババアは
世間全部に言うとこが違う。
しかしまあ、まったくもって、うるさいババアじゃわい。
でもお陰で退屈せんのはエカッタかも。
人は、それが非現実的空想であろうと何であろうと、どんな形にせよ自分
に関わって欲しいと欲するものなのだ、と私は思う。
たとえそれが誹謗中傷であろうともである。
「 人の悪口言って、何が楽しい? 」 映画「オペラ・ハット」のゲー
リー・クーパーのセリフを若い頃に聞いてから、この数十年来その言葉を
言われる立場には、絶対ならぬように努めてきたつもりだが、近年になっ
て悪口を全く言われないのも、寂しいかも、と思ったりもする・・・。
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まあ、エエ・・・。
とりあえず、今年もなんとか生き延びた・・・。私も大嫌いなカトリック
・クソ・ババアも・・・。
(カトリック・クソ・ババアのお陰で、孤独感を落ち込む程には感じずに
済んだ。ほ。)
今夜は、トックリのお酒じゃい。 ♪
今夜の一曲
「
Sometimes When I'm Dreaming 」
歌:A・ガーファンクルル
「 Sometimes When I'm Dreaming 」
歌:アグネタ(ABBA=元ババアのメンバー)
※ こうゆう曲聴くと、カトリック・クソババアが、軟弱だ、やれ幼稚
だって言いそうで。^_^;