おとといからつい先程まで、さいたまから名古屋までの、甲州街道(R20)、
中仙道(R19)を往復する。
小牧からの帰り道、紅葉が雨にけぶる晩秋の木曾路。
ある交差点で「笹沢」の標識を見たせいで、作家の笹沢佐保が書いた時
代劇の「木枯らし紋次郎」が想い浮かんだ。
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木枯らし紋次郎は、上州(群馬県)は新田郡の生まれ。今の伊勢、大田、
尾島あたりになる。(奇しくもおとといの午前、仕事で行った。)
生まれ故郷を飛び出して、無宿のばくち打ちになったのであるから、
土地なんぞの財産を一切持たぬ貧農の倅だったのだろう。
上毛三山、特に赤城山の景観が美しいエエとこだなあ、と私は思ったばかり。
でもやはり、江戸時代の紋次郎には赤城下ろしの木枯らしのみの土地柄だ
ったのか・・。
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TVドラマによれば、紋次郎はただあてもなく、気の向くまんまあちこちと渡り
歩いたそうな。
とすれば、この名古屋から、中仙道を信州の諏訪・塩尻までの150キロの
道のりも歩いたに違いない。紋次郎は早足のようだから、時速5キロとして
30時間。歩き詰めで二日の行程になる。
今日のような雨や雪の時には、道がぬかるむ中、一日15時間、75キロを
歩くことは容易なことではあるまい。
両側から高い山がせまって、空の狭い谷底の木曽川沿いの道を延々と
歩き続けるのは、精神的にも相当な負担になる筈だ。
無論、草鞋はもとより足袋も脚ハンもボロボロになったであろう。TVの映像に
あるように雨合羽も編み笠も穴だらけだ。宿賃がなければ、村のお堂か祠に潜り
込む?
(TVドラマの「木枯らし紋次郎」のエエとこは、そのリアリティー。
やっとたどり着いた安い宿で、紋次郎がやってるのは、破れた合羽や草鞋の
繕い。小川で汚れた下着を洗うところもある。
日本中を(徒歩で!)歩き回るドラマの「水戸黄門」。いちばん気に入らんのは、
未舗装の19世紀の江戸時代の道を毎日歩きまわっているのに、いつも綺麗
なおろしたての着物を、みんなが着ていること。そんなアホな。
私がお気に入りだった、「ローハイド」の牛を追うホコリだらけの画面。
あんな生活を一年中してれば、 服は、埃だらけのドロだらけになり、洗濯ずれ
で生地もボロボロになるだろう。 そこを「ローハイド」は誤魔化さない。)
れにしても・・、紋次郎はいったい何で、こんな生活を送っているのか・・・。
私の生きている現代の社会でも、引きこもり等で社会との接触を断って生きる
人達は少なからず存在する。
だが、彼等(私も)には、ラジオやインター・ネットで幾らでも世界中の情報が
入り、その「孤独?」は、ネット等での社会との擬似的接触によって紛らすこ
とができる。
れに較べれば、紋次郎の時代、他人との交わりを絶てば文字通りの孤独が
待っている。
その未来のない孤独の道に踏み出した紋次郎の底知れぬ名状し難い孤独感を
想う時、私は何というべきか、ある意味とても厳粛な気持ちにさせられるのだ。
そんなちょっぴり滅入った気持ちで私はずっとトラックを走らせたのだった・・・。
今夜の一曲
「
サラバンド 」
アルカンジェロ・コレッリ:作曲
ゴッド・ナイト