北東アジアの不安定な国際関係が解消されない限り、「抑止
力」としてのアメリカ軍基地は絶対に必要である。との主張を
する連中…。
この連中は、ついこの間までは、ソ連が脅威であると言っていた。
最近は中国になったようである。
で、それに対しての「抑止力」には軍事力すなわち最新兵器で
立ち向かうのが有効というわけだ。
これは、要するに「需要」と「供給」の関係、すなわち古典的な
資本主義の論理である。
「抑止力」=「軍事力」が必要である限り、軍事産業は繁栄し、
そこに働く人々の雇用も確保され生活の心配から解放される。
つまり人々が、幸せに暮らす為には半永久的に「軍事的緊張
と「抑止力」が不可欠なのである。
一言でいうと、「平和」な国際関係であっては多くの人々が、
家計の心配から安心して生きてゆけないのだ。
自動車事故を起こし、不幸が生まれるからこそ、保険会社で
働く人々が生活できるのと同じようなものである。
だが、「保険」に依存というか全面的に自分の人生を預けて
しまうことが、ほんとうに正しい素晴らしい生き方であるとは
言えないだろう。(寂しすぎる…)
れ、ちょっと例が不適切だったかな。
同じように? 軍需産業の繁栄の為に、意図的に危機を作り出
しそして煽り、「抑止力」の必要性を人為的に作り出す「資本主
義のメカニズム」というものに私達は気がつかなくてはならん。
最も進んだ?資本主義国アメリカの歴代政権は、定期的に
戦争を作り出してきた。レーガンやブッシュがいい例である。
目的は、いうまでもなく停滞した産業の再活性化である。
(湾岸戦争のおかげで、倒産寸前であったパトリオット・
ミサイルの製造会社は見事に生き返った。)
オバマは、その政治信条の為に、自ら戦争を仕掛けることに
は躊躇がある。だが、資本主義の論理に逆らうことはできぬ。
ジレンマがあったところへ、北朝鮮の韓国船への魚雷攻撃や
イランの核疑惑である。アメリカにとって僥倖とはこのことである。
これからも、人類は、「平和」で「しあわせ」な生活を営む為に、
永久に、軍事的緊張状態や戦争を必要とするのである。
今日の一曲
「 ヴァイオリン・ソナタ 」 セザール・フランク:作曲
vn:
ユーディー・メニューイン