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「表現の自由」について
このところ、東京都議会では、「青少年健全育成条例」なるものが、
論議されている。 その条例というのは、要するに未成年に、社会的な一般通念から はみ出した表現(とりわけアニメや漫画)を規制しようつーものである。 (若年層への携帯電話の所持やフィルタリングの規制強化も含む ようである。) この条例案は石原都知事の提出つーことで、かって「太陽の季節」で 猥褻文学として槍玉に上がった小説を書いた当人から、このような 法案が提出されたことには、ちょっと哂えなくもない気もする・・・。 で、この条例案に対して、いわゆる文化人連中から、「表現の自由」 の侵犯であり、断固条例の制定には反対である、と猛抗議があり、 目下条例案は宙に浮いてる状態のようである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、 私なんぞは、ここのブログで毎日のように「床屋政談」まがいを やっており、与野党問わず、政治家に対して悪口雑言を繰り返して いる。 個人的な恨みなんぞないわけだから、ただ暇つぶしの無責任な 放言と取られているか(すなわち、彼等に実質的に何のインパクト も与えない)、 むしろ「ガス抜き」効果があって、権力者や統治者にとって便利? な役割を果たしているとすら思われているのかも知れぬ・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 話はちとそれるが、特にアメリカ発のネット上の猥褻な写真なんぞ は、これが「自由」だとか「表現の自由」の言葉で形容することなぞ、 私にはとてもじゃないができぬ。 「確率」と言う言葉を使うと、我々の日常の生活において、これほど の性描写の氾濫は、ありはしない。 ただただ、「ネットの特殊性」というより他ない。 で、こうしたネットの特殊性については、いわゆる「表現の自由」も 特殊化されて当然=つまり規制されて当然である、と私は考える。 ネットを利用することが「自由」の象徴であるかのごとき現代の風潮。 ネット時代の流れに逆らってもしょせん無駄である、というあきらめ・・・。 それらの現象すべてを、否応なく受け入れざるを得ないとしても、なお 私は最後まで「表現の自由」のスローガンの裏側にある、人間の 欲望を対象にして金儲けを企む輩の規制・摘発には可能な限り、 努めるべきである、と思うのだ。 ・・・・・・何で、男女のセックスの画像や、小さな子供の裸像が、我々の 日常生活に必要なのだ? そんな画像が何で、「自由」に関係あるのだ ! 先だって、中国においてグーグルが当局の検閲を不満として、撤退した。 当局の規制は、反体制運動の動静ばかりではなかろう。アメリカの 猥褻な画像が、中国社会を乱すとした当局の感覚は、至極まっとうな ものではないか。 ネコも杓子も「表現の自由・・・」 だが、日本の禅寺がもし、梅津かずおの赤と黄色の邸宅のようであったなら、 禁欲・節制とは縁遠い=「表現の自由」が、禁止された世界でなければ、 世界中の誰も心を惹かれ、座禅を組もうなどと考えることはおよそあるまい・・・。 昨今は、(現代文学は特に)性を扱って、外野から「既成の秩序のタブーに 挑戦し、人間の本質をえぐった。」と喝采されて、ほとんどポルノまがいの 作品が、その真の値打ち以上に評価されたりする時代である。 性が、人間の本質であるなら、何で国連憲章や、各国の憲法の条文に 「人間のセックスは何よりも重要である。」と明記されていないのだ? 聖書や古代地中海文明の昔から、「性」は恥ずかしいものであったのだ。 (でなければ、何で、女神が葉っぱであそこを隠すのだ。) ・・・・・・・・・・・・・・・ 「表現の自由」を主張する輩は、家族ともども、往来を素っ裸で行進すれ ばよかろう。 (きちがい病院に収容されるのがおちだ。) 人は、何事に寄らず、自分自身の行いを、恥じ、照れるから、かわいいのだ。 夕べの一曲 「 スコットランド幻想曲 」 ブルッフ:作曲 vn独奏:ハイフェッツ
by mana1563
| 2010-05-17 16:39
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Comments(2)
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