最初に、はっきりと言っておく。
「思い出」は、未来にはない、と。
私は、この数年来、毎日24時間、思い出に生きている。
(私だけではなく、人類の歴史は、「思い出」の集積である。)
自業自得のミスさえも懐かしく思い出すこともあります。
あのとき、ああすればエカッタ。あんなことしなければエカッタ・・・。
でも、取り返しがつかないがゆえにこそ、過去の思い出が
まさに限りなくいとおしいのだ。
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「思い出」を軽んじるものは、歴史というものを本質的に理解できない。
わかりやすい例をあげよう。
300年前のバッハや200年前のモーツァルトの音楽は、彼等の人間性
を「思い出す」という働きかけがなくては、全く理解不能である。
「思い出に浸る」行為くらい、能動的な想像力を必要とするものはない。
「思い出」を莫迦にする輩には、この世のあらゆる芸術を語る資格は
ないのだ。
無論、「思い出」を捨て去る輩には、神や信仰を語る資格は、一切ない。
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想え ! 考え ! 思え !
思い出をいつくしむことこそ、人生の原動力となる・・・。
「思い出」こそ人生のすべてである。
寝る前の一曲
「 ノクターン 作品55 NO.1 」 ショパン:作曲
演奏:マウリッツィオ・ポリーニ
http://www.youtube.com/watch?v=XNdMM0Op0gw
「 ノクターン 作品27 NO.2 」 ショパン:作曲
演奏:マウリッツィオ・ポリーニ
http://www.youtube.com/watch?v=tFVQx9yxMcE
GN